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2012年03月19日

ake.AD 公開研究会

 3月22日と23日に京都の立命館大学と、西陣にある古書店カライモBooksさんで勉強会を行います。以下にMLを転載します。

 それから、この4月1日より、南三陸町に拠点を移して、復興支援の仕事をすることになりました。ただいま準備中。


◆◆公開研究会「遍在する〈東北〉」◆◆

日時:3月22日(木)16:00~19:00
場所:立命館大学学而館2階 第2研究室
発表者:山内明美(一橋大学博士課程)
コメント:大野光明(立命館大学博士課程)

発表概要:
 アジアにおける後進国型ナショナリズムのひとつの様態として、近代日本における〈稲作ナショナリズム〉という名付けのもとに、自分の研究を続けてきました。フィールドは、日本の東北地方です。稲作をめぐる表象研究と思しきこの探求は、近代の稲作史を遡ることを主眼としたものでも、また稲作文化論を展開することを目的としたものでもありません。
 亜熱帯の植物である稲を、寒冷地の東北地方で栽培しようとするメンタリティにこそ、私は興味がありました。そこには、中央と地続きでありながら、歴史的に接ぎ木された〈東北〉の心性の闇が隠されているのではないか、とさえ思ってきました。
 東日本大震災と原発事故は、〈東北〉の姿を白日の下にさらしました。東北が田んぼで覆いつくされたのはなぜか、原発が乱立していったのはなぜか。なぜ、多くのひとびとが、「故郷」を奪われる結末に至ってしまったのか。〈東北〉とはなにか?
 いま〈東北〉で起こっている出来事は、世界に遍在する「困難な場所・場所」へ通じているのだと思います。ここは、はじまりの場所なのだと思います。

*研究会後に打ち上げを予定しております。

◇プロフィール
宮城県生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒業。現在、一橋大学院言語社会科博士課程在学中。専攻は、歴史社会学、日本思想史。

『こども東北学』イースト・プレス、2011年11月
『「東北」再生』(赤坂憲雄、小熊英二との共著)イースト・プレス、2011年7月
「自己なるコメと他者なるコメ――近代日本の<稲作ナショナリズム試論>」『言語社会』2号、pp.391-409(http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/16507/1/gensha0000203910.pdf)など
近刊に『東京/東北論』(共著、明石書店)

立命館大学植民地主義研究会・哲学思想史研究会 共催
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/k/koubo2011-14.htm


◆◆第8回カライモ学校◆◆
タイトル「これから、〈東北〉で生きるということ。」
http://karaimo.exblog.jp/

日時 3月23日(金) 15時30分から17時ごろ
*終了後、19時30分ごろまで交流会あり(自由参加)。
講師 山内明美
料金 カンパ制
定員 20人
場所 カライモブックス
 *ご予約お願いします
075-203-1845/karaimobooks@gmail.com

 わたしが、〈東北〉というときは、いわゆる東北地方だけを意味するものではありません。中央と地続きでありながら常に下流化され続けている場所を指しています。その差別的な構造は表面化しにくいものです。表には現れないけれども、内側には巣食っている。近代の〈東北〉はそこに差別があることを払拭することに力をそそいできた、と言ってもいい。自ら隠してきました。「日本」という国が包み込んでいた〈東北〉は、甚大震災と原発事故によって表皮を剥がされました。
 原発以後の〈東北〉に生きるということ。なまなかなことではありません。どうしたら、〈東北〉から新しい「生きる仕組み」を生み出せるでしょうか。

*山内明美さんプロフィール
宮城県南三陸町生まれ。一橋大学院言語社会研究科博士課程在学中。論文に「自己なるコメと他者なるコメ――近代日本の〈稲作ナショナリズム試論」など。著書に『「東北」再生』(小熊英二・赤坂憲雄と共著、イーストプレス)と『こども東北学』(イーストプレス)。

共催 立命館大学植民地主義研究会
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/k/koubo2011-14.htm

◇◇以上  


Posted by ake. at 21:38研究note

2010年08月27日

「おひとりさま」と生政治

 にわかに浮上した「高齢者不明問題」は、ここへ来て古い戸籍探しの様相を呈してきましたicon11石原慎太郎をして「年寄りの供養もできない国になったのかね、日本はもうダメだね」と言わせしめたのでしたが…この言葉を聞いて「まったくだ」と思ったひとは多かったでしょう。けれども…あんたは政治家だろうよ、なのに、今ごろそんなこと言うかのか?

 たとえば、上野千鶴子の『おひとりさま』は、ひとりで死ぬためのマニュアル本なんですね。ですから、孤独死する人間が、どんどん増えていくことを前提に書かれた本です。近代の政治的性格が何なのか、近代家族がどうなって行くのかをすでに把握している。上野ならばいうことでしょう「高齢者不明ですか?そうでしょうね、そうなるでしょうね」。
 もっとも、あまりに多い不明者と年金ネコババ状況をかんがみるに…『おひとりさま』を読んで、自分の墓を立てておいて死ぬ準備ができるひとは、かなり恵まれている人なのだということも言えるでしょう。

 この数日間、アガンベン『ホモ•サケル』と格闘をしていました。
 
 近代は、そのはじまりからゾーエーを必要とした。孤独にどこかで死んでいかねばならない「剥き出しの生」が都市にあふれています。けれども、このことは、近代社会がそのイデオロギーとして、ゾーエーを必要としたところからすでに導かれた結論でもあるのでしょう。つまり、「公的なものに対する私的なものの優位」。自由を求めて生きる社会ということを究極的な次元で考えれば、その先には「家族としての死」ではなく「私の死」という結末は導きだされるでしょう。けれども、近代国家は「野垂れ死に」することさえ容易に許してはくれません。「事件」になりますね。
 村落共同体、家族制…それらが崩壊してゆけば、必然的に「剥き出しの生」がちまたにあふれるでしょう。
 たとえば、フーコーは、そういう近代の様態を「生政治」と語ったのでした。

 
「生への権利、身体、健康、幸福、欲求充足への権利、あらゆる弾圧や「疎外」の向こう側にありのままの自分やありうべき自分を見いだす「権利」、この「権利」は、古典的な法体系にとってはこのように理解不可能なものであったが、これが、新たな権力手続きに対する政治的反応なのだった」『性の歴史Ⅰ』ミッシェル•フーコー


 植民地なき時代の植民地は、近代民主主義が獲得した、自由な「剥き出しの生」が標的になる、ということでしょうか。すごく、過酷な時代なのです。

 人ごとじゃなくて、そんな私も「ホモ•サケル」涙

 



  


Posted by ake. at 10:22研究note

2010年06月04日

情況としての〈二日酔い〉

 別に…「情況」とかいっても吉本隆明とかに興味はない。

 朝、たぶん、これまでの人生のうちで2度目くらいの〈二日酔い〉と思われたface13
 とはいえ、あれが二日酔いなのか、いつものような偏頭痛なのかが解らないicon11ガンガン痛いというのではなくて、頭痛なんだけれど、なんかちょっとクセになりそうなユルい痛みだface05常々、心の奥底で思っていることがある…自分は下戸だと思いこんでいるけれど…ほんとうは飲めたらどうしよう。いや、この話は止そう。

 それで、そんな頭でぼーっとしていたら遠い記憶の〈永井荷風〉を思い出した。私の思い出す荷風というのは、ハンケツの股引姿で絶命している、言葉にならないあの〈荷風〉だったりする。
 遠くない昔、私が「荷風でもやろうかな」といったら「荷風を読むことはできるだろうけれど、君に荷風は理解できないよ」ときっぱりいわれたことがあった。「やっぱり、そうかな」とすっかり納得して、それから荷風を読むのをよした。

 ハンケツの荷風を思い出してから、またぼーっとしていたら…
 あれは小熊さんの本だったか鶴見さんの本だったか…ある女性が、敗戦後すこししてからの座談会で「戦争中に山の中に隠れていて、戦争が終わってから出てきて「私は戦争に加担しなかった」っていうひとがいましたけれど、恥ずかしくないんでしょうかね。」っていったこと。

 どういう脈絡で、荷風とそういう女性の話が私の〈二日酔い〉の頭の中で結びついているのかは、ちょっと微妙だ。それから、もうひとつ繋げてみようと思って、バイト帰りの電車の中で『アイヒマン調書』を読んでいた。アイヒマンって、とにかくすごく真面目な男だ。「自分の任務を誠実に遂行した」それが、アイヒマンの主張のすべてだった。

 〈二日酔い〉に罪悪を感じるってことが、たぶん、ある。なんでしょうね、そういう意識。「自分はダメ人間だ」みたいな(笑)。たぶん、“近代”とか“文明化”からの侵犯が漂っている。

 モラちゃん風に言ってみてもいい…

 you might be a redneck if...〈二日酔い〉に罪悪を感じるなら。
 二日酔いに罪悪を感じるなら、君もレッドネックかもしれない。

 そういえば、水曜の講座で、足羽さんが言っていた。
 ガンジーに影響をうけた非暴力の運動家たちのカリキュラムと、軍隊のカリキュラムがなぜ酷似するのか…。自己犠牲とか禁欲とか…。

  
〈遊び〉をどうつくるか...これです。

 



 


  


Posted by ake. at 03:04研究note

2010年05月26日

ake.エピステーメー

 竹内好が論じていた。魯迅とは「夢からさめて、行くべき道がない」「人生でいちばん苦痛なこと」を体験した人。魯迅はヒューマニズムを拒絶している。

バカがドレイを救おうとすれば、かれはドレイから排斥されてしまう。排斥されないためには、したがってドレイを救うためには、かれはバカであることをやめて賢人になるより仕方がない。賢人はドレイを救うことができるが、それはドレイの主観における救いで、つまり呼び覚まさなこと、夢をみさせること、いいかえれば救わないことがドレイには救いである。


 ここには、ヒューマニズムなどない。「絶望」しかない。
 魯迅の物語りの中に竹内はいろいろな意味を読み込んでいる。たとえばヨーロッパ。「ヨーロッパがヨーロッパであるために、かれは東洋へ侵入しなければならなかった。」「ヨーロッパが、たんにヨーロッパであることは、ヨーロッパであることではない」。

 それにしても、日本はそろそろ「夢から覚める時」で…。この先にどんな「絶望」がまっているのだろう。丸山真男は、アジアの国々が独立しはじめたころ、日本はすでに「ナショナリズムの処女性」を失っていた、と語った。けれども、なまじっかな“脱亜入欧”のために、自分がほんとうはドレイであるのに、主人であるような“夢”を見続けている。もはや“まどろみ”、そしてやがて目が覚める。その先には、たぶん、行くべき「道」がない。

 まぁ、悲観しても仕方ないけれどface13


 火曜はゼミだった。移民の第二言語習得とか、留学生のこととかが話題になっていた。ぼんやり、ドリスのことを思い出していた。ドリスは今も元気でいるだろうか。
 
 私が学部3年の時だから、もう7年前のことだ。SFCの外国語教育は海外研修がおまけみたいについているので、私はフランスを選んだ。滞在先はブザンソン。フランシュ・コンテ大学。日本でいえば青森。すこし行くとアルザスだ。中世の街並みがすっかり残っている、おとぎ話の中みたいな自然要塞の古都だった。いまでも、お気に入りの街。

 フランス語のクラスで、はじめてドリスに会ったとき、彼女は私を見て開口一番、「おしん!」と叫んだ。私は、なんでフランスくんだりまで来て「おしん」呼ばわりされるんだろうって…苦笑したけれど、ドリスの母国キューバでは、NHKで放映された「おしん」が何度も再放送されているらしい。それだけで、すでにキューバの事情というものが、ほんの少しわかる気がした。

 ドリスは、キューバから出稼ぎでフランスへやって来ていた。キューバにふたりの子供をおいて、夫とふたりで稼ぎへ来たのだと言った。ブザンソンはスイスとの国境付近にある地方都市で、ドリスは夫の運転する車で、毎日1時間かけてスイスからフランスのこの語学学校へ勉強しに来ていた。スイスは中立国なのでユーロに加盟していないぶん、生活費が安いのだ。
 あの時、ドリスのお腹には赤ちゃんがいて、2ヶ月後に男の子が生まれるの、と教えてくれた。

 いつも隣の席で一緒に勉強したドリスは、勉強がとても苦手のようだった。時々、苦痛になるのか泣きそうな顔をして教室を飛び出すときさえあった。隣の席で一緒に勉強していると、彼女の苦痛の息遣いみたいなものが伝わってきて、自分も苦しい気持ちになった。「Je」という発音が、どうしてもスペイン語の「yo」になってしまう。発音をなおされるたびに、顔がどんどん歪んでゆく。

 キューバ人のドリスの母語はスペイン語。フランス語と兄弟言語であるスペイン語圏の母語話者なら、文法構造が一緒のフランス語は学びやすいはずなのだけれど、ドリスにとってはそうではなかった。先生が「ドリスはスペイン語を話せるのに、どうして」と嫌味みたいに言うのにカチンと来たりした。ドリスのおかれてきた状況というものが、そこには明らかに反映されていた。

 生活語としてフランス語を習得することは、彼女と彼女の家族の運命を確実に左右する。そういう「苦しさ」も痛々しいほど伝わってきた。

 学校が最後の日。夕暮れのブザンソンを、ドリスとふたりで言葉もなく歩いた。お互い、心を語れるほどの「言葉」を持っていなかった。お互い、あふれるほどに、伝えたいことがあったのに。そして、たそがれの空が闇になり、なんだか心細い気持ちだった。それは、たぶんディアスポラが、幾度となく、夕暮れどきに感じる気持ちなのかもしれなかった。この先に、どんな未来が待っているのだろう。私はブザンソンの街中を歩いて、やっと見つけたベビーシューズを、ドリスにあげた。お腹の子供には会えないけれど、きっとこの子が、立ち上がって歩く日が来ることを夢見ていた。ふたりで、ちょっと涙を流したりした。
 ドリスが、世界のどこかで、家族と一緒に元気で暮らしていたら、いい。 


 水曜はTA。今日は、ヨンスクさんが、中央アジア(ウズベキスタンとカザフスタン)の「高麗人」について講義した。彼らは自らを「コリョ・サラン(高麗人)」と呼んでいる。「コリア」というのは「高麗」という言葉からできている。ロシアのコリョ・サランの強制移住と、彼らがその歴史の中で送らなければならなかった壮絶な人生を、彼女は語った。そういえば、スターリンはグルジア人でロシア語が母語ではない。スターリンの母親はロシア語が話せなかったという。ヨンスクさん曰く「もし日本の総理大臣で、日本語が母語ではないひとがなったら、大変だと思われるでしょうね。」
 講義が終わってから、研究室で、お話して、いつものように勇気をもらって帰ってきた。心から、素敵な人だと思う。

 昼休み、偶然、ぶんちゃんに会った。これから「バトラーのテキストを使って授業をするんだけど、来てみない」てなことで、はじめてぶんちゃんの授業を聴講した。バトラーが、ファノンとサルトルに言及している文章の英語講読。ここでも「ドレイの弁証法」。

 そういえば、先週、マークさんが合評会で紹介していた本。ヘーゲルの『精神現象学』における主人と奴隷の弁証法が同時代の「ハイチ革命」に強く影響されているのではないか、同時代の状況と歴史的経緯の中で、「新しい普遍主義」について考察している、らしい。

 まだ翻訳はないけれど『現代思想』2007年7月号のヘーゲル特集に一部翻訳が掲載されているみたい。興味ある方はどうぞ。これね、面白いと思うよ。

“Hegel, Haiti, and Universal History” Susan Buck Morss ,Univ of Pittsburgh Pr,2009.

 
 

 

 
 
 


   


Posted by ake. at 19:50研究note

2010年05月23日

魯迅 『賢人と馬鹿と奴隷』

魯迅 『賢人と馬鹿と奴隷』 (1925年12月26日)   訳 竹内好

奴隷はとかく人に向って不平をこぼしたがるものであります。何かにつけてそうですし、またそうしかできないのです。ある日、彼はひとりの賢人に行きあいました。
「先生」と、彼は悲しそうに言いました。涙が糸のようにつながって、眼のふちから流れ落ちました。「あなたはそ存じでしょう。私の暮らしは、まるで人間の生活ではありません。食べるものといったら、一日に高粱のカスばかり、犬や豚だって食べたがりません。おまけに、小さな椀にたった一杯.....」
「まったくお気の毒だね」賢人も、痛ましげに言いました。
「そうですとも」彼は、愉快になってきました。「そのくせ、仕事は昼も夜も休みなしなんです。朝は水汲み、晩は飯たき、昼は使い走り、夜は粉ひき、晴れれば洗濯、雨降りゃ傘さし、冬は火燃やしで、夏は扇ぎ、夜中の御馳走つくり、御主人は麻雀、おこぼれどころか、貰うものは鞭だけ......」
「まあまあ.....」賢人は、ためいきをつきました。眼のふちが少し赤くなって、いまにも涙がこぼれそうです。
「先生、これではとてもつづきそうにありません。ほかに何とかやり方を考えないことには。でも、どんなやり方がありましょう....」
「そうでしょうか。そう願いたいものです。でも、私は、先生に悩みを打ち明けて、同情して頂いたり、慰めて頂いたりしましたので、すっかり気が楽になりました。まったく、お天道様は見殺しにはなさらないものですね.....」

けれども二、三日たつと、彼には不平が起こってきました。そこで例のように、不平を訴える相手を探しに出かけてゆきました。
「先生」と、彼は涙を流して言いました。「あなたはご存じでしょう。私の住んでいるところは、豚小屋よりももっとひどいのです。主人は私を、人間あつかいしてくれません。私より狆ころの方を何万倍もかわいがっています......」
「唐変木!」と、その人は、いきなり大声でどなったので、彼はびっくりしました。その人は馬鹿でありました。
「先生、私の住んでいるところは、ちっぽけなぼろ小屋です。じめじめして、まっくらで、南京虫だらけで、眠ったかと思うとたかってきて、やたらに食いまわります。むっと鼻をつくように臭いのです。四方に窓一つあいていません.....」
「おまえの主人に言って、窓を開けてもらうことができんのか」
「めっそうもない」
「それじゃ、おれを連れて行って見せろ」
馬鹿は、奴隷のあとについて、彼の家へ行きました。そしてさっそく、家の外から泥の壁をこわしにかかりました。
「先生、何をなさるのです」彼はびっくり仰天して、言いました。
「おまえに窓を開けてやるのさ」
「いけません。主人に叱られます」
「構うものか」相変わらずこわしつづけます。
「誰か来てくれ。強盗がわしらの家をこわしているぞ。早く来てくれ。早く来ないとぶっこ抜いてしまうぞ.....」泣きわめきながら、彼は地面をのたうちまわりました。
奴隷たちがみんな来ました。そして馬鹿を追い払いました。
叫び声をききつけて、ゆっくり最後に出てきたのが、主人でありました。
「強盗が、わたくしどもの家を毀そうといたしました。わたくしが、一番はじめにどなりました。みんなで力を合わせて、追っ払いました」彼は、うやうやしく、勝ち誇って言いました。
「よくやった」主人は、そう言ってほめてくれました。

その日、大勢の人が、見舞いにやって来ました。賢人もそのなかにまじっていました。
「先生、今回は私に手柄があって、主人がほめてくれました。このまえ、先生が、きっといまによくなると言ってくださったのは、ほうとうに、先見の明で.....」
希望に満ちたように、彼は朗らかにそう言いました。
「なるほどね.....」賢人も、お陰で愉快だといわんばかりに、そう答えました。
  


Posted by ake. at 07:19研究note

2010年05月05日

継承、あるいは再考されるべき〈残滓〉として...

 いくつかの結節点の中で、考えることを余儀なくされていると思う。だからこそ、ただ「非難」するのでも「肯定」するのでもなく、目前にあるアポリアについて、どんな思考が可能なのだろうか、と考えたい。1980年代が過ぎた...冷戦が終わった。90年代も過ぎた...帝国主義の残余としてつづいていた経済成長も終わった。そして2000年...アメリカ帝国主義がアタックされた。

 少なくとも、今年になって、私の目の前には3つの「100年」があった。

 ひとつは、日韓併合100年。
 ふたつめが『遠野物語』100年。
 みっつめが川崎開発から100年。

 遠く離れた、3つの別々の出来事が偶然100年になった...だなんて、とても思えない。この3つの100年は、日本の「近代化」の中で有機的に繋がった出来事であることは、確かだ。

 たとえば、90年代に起った柳田へのナショナリズム批判とは別な角度から、日本の〈近代化〉と、日韓併合と遠野物語の結節点は、いま一度検討されるうるべきテーマなのだろうと思う。それは、官僚であった柳田が日韓併合にさいして、どのようにコミットしたかを検証するということに限らない。そして、「遠野」と「川崎」というラインも同じ視覚から捉えられるのだと思う。コリアンタウンや沖縄集住地区、そして東北からの出稼ぎ者(次男三男)の終着点が、川崎なのだから。川崎のドヤ街は、すでに、棄郷者(否、棄民なのか...)」たちの老人ホームと化している。

 つづく...
 

   


Posted by ake. at 21:13研究note

2010年04月04日

“白河以北一山百文からの思想。”

 豊穣なエキスのひたひたのスープに身をたゆたわせている、というか実感としてはそんな感じの毎日。

 2日。朝から横国大へ。4月から使われる横浜市の「歴史教科書」のこと、川崎臨海部開発と川崎の市民運動のことなど話題いっぱいで結局10時間を越えた。しばらく日本を離れていたので、久々の川崎。エキサイティングな時間。この間、場所をかえたりしてケーキ4個くらい食べちゃったと思う...face03

 3日。国立大学通りの桜並木は満開で、今日はお花見散策。友だち7人と、西国分寺から武蔵小金井まで2時間歩いてお花見弁当。暖かくてとても気持ちのよい一日。一緒にお散歩していたBさんが“異邦人”にまつわる哲学講義を1セメスター行うということで、ake.はビビビと来て「参加します」。なにしろake.は今、頭の中の9割くらいが“まつろわぬもの”でいっぱい...。

 白河以北一山百文からの思想face01

 3月下旬に仙台へ出かけました。
 ake.はしかし、久々に帰った故郷で殺伐とした気持ちになっていました。もっとも「ここも例外ではないよな」と...。
 JR仙台駅構内の女子トイレへ入ったのです。個室のドアの内側にチラシが貼付けてありました。不意に見ると外国人へ対するとても排外的なチラシでした。そこに描かれていた挿絵の“外国人”は日本人に危害を加える悪魔のように描かれていました。「魯迅のいた仙台で?」「喜田貞吉の東北学は?」「布施辰治の故郷で?」このざまかよ。仙台はトイレの中までこうなっちまったのかよ。
 
 白河以北一山百文からの思想。
 
 さて、そんな仙台へ出かけた日。ake.は仲間とふたりでとある“実行委員会”を立ち上げました。ぼちぼち動き出しています。秋には仙台でみなさんに、お目にかかれるでしょう。場所は東北大学です。いま、企画を仕込み中なので、近いうちに告知しますね。


 

   


Posted by ake. at 12:51研究note

2010年03月16日

〈剥き出しの生〉をめぐる出来事。

 D論のBase(下部構造)にあたる部分を、ソウルでぽつぽつ書いていました。

 日本へ帰ってきてから、ソウルで考えていたこの「下部構造」について、政治的な場所で現実に展開されている場面に遭遇することになりました。ときどき抜け殻みたいな気持ちになりました。

 幾つかの問いが頭の中を駆け巡っていました。ひとつはあのとても有名な「生きることのためにうまれたが、本質的には善く生きることのために存在する」(アリストテレス)。

 それから、「剥き出しの生はどのようにしてポリスに住みついているのか」というアガンベン、否、フーコーの問い...。

 近代民主主義の頽廃のひとつの事例を、私は「朝鮮学校の無償化除外」の議論の中で考えていました。(いつだって起っているけれど...)すでに現実的になった「民主主義と全体主義が内奥において連帯している」というテーゼが、すっかりと透けてみえるような出来事でした。

 この民主主義の国にも、「例外的な生」が担保されている。それが、どうかんがえても茶番なのに、現実に展開してゆくスペクタクルな政治を前に、ただ呆然としている。

 ここから...「人間の隷従をしるしづけた場」の「恐ろしさ」をどれほどのひとが想像できたでしょうか。

 とても、大切な「アポリア」がそこに横たわっていると思います。

 D論は、きっとここへ繋げようと思います。
 
   


Posted by ake. at 03:52研究note