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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2015年10月01日

森にいきるひとたち

10月1日だってぇ...あと2ヶ月で2015年が終わるの?
自分にとってもっとも重大な仕事がまったく進んでいないのは、なぜ?!なぜなの?!face07まずいですね、残り2ヶ月で少しは進まなくちゃ。

秋学期がはじまりました。学生も元気に通ってきています。

益子の土祭へ行ってきました。今回は映像人類学者の分藤さんとご一緒することができました。はじめてお会いしたのは一昨年の山形映画祭でした。一昨年の山形も強烈な記憶に残っていて、管さん、港さん、そしてドリアンさんたちと朝方4時くらいまで飲んだのでした。といっても私は本当に下戸で、みなさんのお話しを聞いているだけなのですが。

分藤さんは、かれこれ20年近くアフリカのカメルーンをフィールドに映像を撮り続けてきました。森で狩猟をしながら暮らしているバカ族という人々がいます。彼らと生活を共にして、時には通過儀礼など受けたりして、第二のふるさとみたいな付き合いをしています。映像を観ると、その距離の近さで、分藤さんがどれだけの関係を築いてきたががよくわかります。普通は、こんなに近くで撮影できないですね。今回の作品は、ひたすら「食事」の風景です。獲物を捕り、解体、料理し口へ運ぶ、そしてその生きるエネルギーで今日も森をゆく。そんな素敵な作品でした。バカの暮らしは、とても理にかなった暮らしのように思えてきます。重低音のように効いてきて、大事な気づきがたくさんありました。

うつくしい月夜でした。


藍染の古民家。


今回の上映会とトークは建築家の町田さんがコーディネイトをしてくださって、町田さんのお家にみんなで泊まりました。朝方、クラヴィーコードの音色が聴こえてきて神様がやってきたようでした。


さぁて、秋学期もがんばろう。
年度内に1冊くらい書かなくちゃ。うーん正念場!

  


Posted by ake. at 21:13ake.thinks

2015年09月04日

夢のリアスバイシャス。

 9月1日防災の日。父の誕生日であったので、鰹の本枯節と鰹節専用カンナ?をプレゼントした。料理人なんである。家では、カレーライスとお寿司は、父以外は作らない。ま、いいや。

 1日は夕方に南三陸入り。
 まだ下見段階なので、こっそりしか書けないけれども、役場、某大手酒造メーカーの方々らと土壌調査へ出かけたんである。休耕地利用についての打開策のひとつ。リアスバイシャスはどんなもんだろうてなことで。とりあえず、土壌と気候について調査せねばならぬので、ボルドー大学で醸造と栽培技術を学んだプロフェッショナルの方が来てくださったということもあり、すごく勉強になった。



 ワイン文化の優れいているところは、その土地の風土から生まれたワインをいただくという土地への倫理観がしっかりしていることだと思う。だから強烈な土地改良や土地独自の気候を防いでしまうようなハウス栽培をすることもない。風土と品種の相性で決まる。




 戸倉から入谷まであちこち歩いて、震災後の圃場整備によって入れられた土が「ちょっとマズいな」いや「かなりマズいぞ」ということも共有できたけれども、その言及はいつかしよう。このままだと、何年も田畑での耕作が安定しないということになるかもしれない。あの、石ころだらけの赤土なんだけれども...。

 大学を卒業する頃、わたしにはひとつだけやりたい仕事があって、就職もひとつだけ決まっていた。それは、長野の個人経営のちいさなワイナリーで、そこでぶどう作りと醸造をやりたいと本気で思っていた。ところが、もはや卒業という頃になって、雇い先から醸造手ではなく「経営」をやってほしいと言われたんである。経理の仕事にまったく興味がもてなかった(というかできない...泣)自分は、1週間悩んで、博物館へ方向転換をはかった。その1年後に研究者へ舵を切るということになるのだけれども、自分がこの世で一番なりたくなかった学校の教員になってしまった。人生ってあべこべだ。ボルドー大学で醸造を勉強するっていう方法もあったんだなぁと今にして思う。

 そんなことで、5年後くらいにリアスバイシャスは実現しているだろうか。
 あがった品種はいまのところ、カベルネブラン、リアスバイシャス、ピノグリ、甲州。

 言霊とは不思議なもので、言葉にだして言っていると、叶うことがある。

 

  


Posted by ake. at 07:33ake.thinks

2015年08月18日

この道ひとすじ。

 今日の朝練37キロ。ちょっと手抜き。なんだか、体重が増えていてやるせない気持ちになっていますが、そういうものらしいです。お菓子は食べるけれど、普段より食事が増えているというわけでもないのに...。最近はよく眠れていいです。学期がはじまったらこうはいかないなぁ。なんだかんだ仕事が山盛りで、オープンキャンパスなど、大学というところは新年度の入試準備などがはじまっているわけです。

 南三陸の方もあれこれ動き出しています。今後10年の長期総合計画の指針は〝森里海ひと いのちめぐるまち 南三陸〟になったそうです。いいじゃん!

 お盆明けで、昨日はゲラ締め切りだったのですが、午前中必着ということを失念していて、朝に神保町まで散歩がてらお届けに。9時前に届けて、「さぼうる」で朝からさぼって研究室へ戻ったのが10時半くらいでした。折り返しの「校正」連絡が12時には編集者から来たので、正味30分から1時間ほどで、この道ひとすじの校正ベテランの方がチェックしてくれたということになります。おそらく、日本でもっとも有能な校正の職能集団がいるとおもわれる書店ですが、感動でした。

 プロ意識の高い執筆者なら、ほとんど校正なしで通すでしょうけれど、私の場合はあちこちにボロも穴もあります。それで、なんか校正の打ち合わせをしているときが、もっとも幸せな時間です。編集者にしたら手間以外のなにものでもないのですが、だって一番最初の読者でね、すごい真剣に読んでもらえているのがわかるんですもの。たいしたネタバレじゃないけれど、思想の科学とか風流夢譚事件とか取り上げているんですね、戦後の企業裁判とかね、あるいは「かまどの力」なんて妙な言葉もでてきます。そういう特殊な表現を、どうやったら読者に伝わりやすくできるかってことを、校正者さんと編集者さんが一緒になって考えてくれるface05これ、無常の幸せ。

 さ、今日もがんばろー。





  


Posted by ake. at 09:40ake.thinks

2015年03月20日

友の言葉

生き恥さらしても博論書くんだよ。
ake.がんばろうと思った春のはじまり。


写真は、韓国群山の資料館にて。
日本へ移入されるコメが積まれている風景。1930年代の群山港の様子。

  


Posted by ake. at 20:06ake.thinks

2011年10月27日

〈ファナティック〉のかなたで...。

 
 昨日は、今学期初登校でした。とはいっても、授業ではなく、財団のかたと農政のお話をするということで学校へ行ったのでした。トピックは、これからの、日本の稲作についてです。大変むずかしい課題です。

 日本のコメ余り、減反政策、補助金農政などなどいろいろ言われていますが、とどのつまり、これから将来へ向けて、田んぼをどうするのか、というお話です。

どうするのか....?

どうしましょう?

 世界的には、現在は人口爆発と食糧危機の中にあります。わたしたちはこれから先の日々の暮らしについて、食糧を輸入に頼るのか、それともそれなりに自給してゆくのか、道行きを判断する必要がありそうです。わたしの中では、方向性は決まっていますけれども、世の中は、どうも、そうなってはいないようです。このまま行くと、食糧は、高騰し続けると思います。

 自分のいのちを支える食べもののこと。

 農水省は、このごろ20〜30ha規模の大型農業経営をうたうようになりました。20haってどれくらいの土地の広さだと思いますか?わたしは、とても心配になってきました。たとえば、わたしの故郷には、20haの平らな耕地なんて存在しないからです。誰が、いったいどうやってそんなに広大な土地を取得して、どのような手段で経営してゆくのでしょうか。あるいは、そこでどんな作物をつくるのかも、わかりません。北海道ならともかくとしても。それが、日本の適正な農業のやり方なのか?そこではどのような農業労働が可能なのか?これまでの、村を母体とした生業としての農業のあり方と、ビジネスとしての農業労働をどのようにバランスよく配置してゆくのか。そして、村はこれからどうなってゆくのか。いくつも課題があります。

 近代日本の稲作農業の肥大について、わたしの見方でいえば、ということになりますが....。

 日本の稲作農業は、1995年の食糧管理法が改正されるまでは、軍事体制を引きずってきたといえると思います。食管法が制定されたのは、戦時中のことだからです。コメは、かつての富国強兵政策と、戦時の食糧増産政策の延長で栽培されていました。コメの価格維持、個別補償......。

 いま、日本の稲作を地方の村々で支えているのは、70代半ばの高齢者です。彼らは、おおむね5反歩くらいの田んぼを耕して、あとは年金で暮しをたてているというひとがほとんどです。昨日、財団の方は言っていました。「若い世代は、田んぼを手放しはじめているけれども、70代以上のお年寄りは採算が合わなくても田んぼを作りたがる......。」

 ......たぶん、とわたしは思います。いま、70代半ばより上の世代は、「戦時の飢餓」を何がしかの記憶として持っているからかもしれない、と。コメにファナティックであった世代。

 TPPの議論がでたとき、右翼がひょっとして「食国」とか「豊葦原瑞穂の国」とか言って、TPPに反対するのではないかと思っていたのでしたが、どうもそんなことはありません。いまの右翼は、ひょっとして伊勢神宮を知らないということも...あるのでしょうか。

 「コメが余っている」ことについては、食に対してファナティックだった時代の記憶を温存している、ととらえたほうがいいかもしれない、と思うようになりました。つまり、「飢餓を忘れない」ということです。このことは、震災時に交通網が遮断されて食料品が供給できなくなったときのことを考えてみてもいいでしょう。食べられなくなるということが、人間をどんな不安に陥れるのか、ということを想像してみる必要があります。

 春先に、鵜飼さんが不意に「黒田喜夫ではないでしょうか」と言いました。それで、ときどき読んでいたのです。わたしも、震災後のすこし苦しい時期だったということもあり、黒田の作品には刺されるものがありました。鵜飼さんは、細かい説明はいつもされないのです。それで、いつも人名が提示されるときはドキッとします。そこには、恐ろしいほど深い意味があるからです。そのことに、しばらくたって気がつくことがあります。黒田について、鵜飼さんは以下のように書いていました。

飢えからの解放は手段を選ばない、これはある意味で三〇年代のヨーロッパや日本のファシズムとも通底する構造です。極めて抑圧的な権力が飢えの記憶から生まれるということを、黒田は自分自身の経験、東北の農民の戦前・戦後のあり方を通して知っていました。飢えからの真の解放は、手段を選ばないというその論理からの解放でもなければならない。(鵜飼哲『主権のかなたで』岩波書店、2008)

 
 そして「飢えからの解放が、ある力の崇拝に陥ってしまうこと」の意味についても、よくよく考えなくてはなりません。このことは、たぶん、あらゆる、王権や宗教の力の発生と無縁ではないからです。そして、このことの意味を「東北」から問うことが、わたしのいまの課題なのです。

 たぶん、いま、この国は、世界は、飢えるわけには、いかないのです。飢えることは、いつだって、核爆弾を発火させることになるからです。すこし、パラダイムをかえる必要があるかもしれません。食糧を、生産できるだけつくっておく、ということを。そして、それを流通させるというよりは、配分するということを。





   


Posted by ake. at 09:19ake.thinks

2011年03月19日

私の仕事。

 怒濤のように1週間が過ぎた。被災しているわけでもないのに、自分が病人みたいになっている。甘いな、と思う。被災地のはどんなだろうと思う。ぐずぐずしているわけにはいかない。そろそろ、自分の仕事をはじめなくては。方々に無用な心配をかけたと思う。山形から帰って、毎日のように電話をくれたひともいた。

 この数日間、ほんとうにいろいろなひとたちがメールや電話をくれた。チャットを使って議論もした。いろいろなことが、頭の中をぐるぐる巡っていた。ニュースを見ながら、原発の情報を見ながら、twitterで排外主義者たちの言動を注視しながら、ほんとうは、研究のことだけを考えていたような気もする。今起こっている出来事を、自分の研究や生き方のなかにどうやって反映させていくか、ずっと考えていた。あれ以来、ジーンズをはいたまま寝ている。

 フランスやロシア...各地の報道を翻訳しておくってくれるひともいる。“FUKUSHIMA”は世界に知られるようになった(なってしまった)。幾人かの学者からのメールや電話で「HIROSHIMA, NAGASAKI, FUKUSHIMA」という言葉を聞いた。

不躾だけれど、備忘として書き留めておきたい。

不登校の研究をされている、貴戸さんから...

 
東北に原発があることは、基本的に沖縄に基地があることと同じだと思います。そして、事故への世界的な注目度の高さをみるにつけ、核の戦争利用とともにその平和利用の実験が、ふたつながら日本の地で行われたのだと、感じざるをえません。今後世界のエネルギー供給が大きな転換を迫られるなかで、東北は、HIROSHIMA、NAGASAKIとともにTOHOKUになるでしょう。山内さんにしか、できないこと、迫れない問いが、きっとたくさん出てくることと思います。

 
 いまの私にできること。

 相澤さんとの話も、そんな内容だった。

 今の私にできること、ひとつしかない。 
   


Posted by ake. at 10:51ake.thinks

2011年01月23日

最近ヘンだよ、宮城県。

 朝すこし雪がちらついたけれど、暖かかったので今日はいい天気だな、と思っていたのに。先ほど図書館へ出かけようと準備して外へ出たら、ものすごい大雪です水滴ちょっと迷って、今日は大学へ行くのを中止して、部屋でやることにしました。オンドルがきいているから、部屋の中にいると外の様子が分らないのです。

 それで、今日はちょっと気になったので2件目のブログを書きます。

 人間社会のハピネス指標というようなものを最大限に拡充するというようなことを仮に考えるとします。そこで二つの方法が思い浮かびます。ひとつは、生活を脅かす犯罪や悪を排除するために多くの規制や管理の網をかけて人間の生活行動にあらかじめ枠をつくっていくというやり方と、そしてもうひとつは、なるべく規制を設けずに、人間のモラルに信頼をおきながら人間社会のかかわりの中で、一定の秩序を維持しようというやり方です。(古典かつ社会学の基本と言えるの考え方ですけれども。ハーバーマスね。)言うまでもないと思うのですが、後者の方が快適だろうと思われます。

 私がいまソウル大でお世話になっている先生も、そんなハピネスに関するの専門家でもあります。

 浅野知事時代以後のバックラッシュともいえる“揺り戻し”に輪をかけて保守化しているように見える宮城県。青少年育成防止条例の公布から、最近の河北新報の記事には、毎日のように宮城県の“生政治”のヤバさが見えるような気がします。街を歩いていても、四六時中監視されているような社会を「安心、安全」と捉えるのか、そのような監視社会を、お互いの“良心”などというものに信頼をおけない悲しい社会と受けとるのかは、両論分れるところなのでしょう。
 
 あえて言いますね、ここは「東北」よ。
 規制かけたり条例をつくることで政治しているような気になったり満足してしまってはいけないと思います。どうすれば、規制などかけずに、人間同士が信頼しあいながら社会を維持してゆけるか、過ちを犯してしまった人に対して社会がどのような負荷をかけていたのかを考える必要もあるでしょう。またそうならないようにするには社会が、個人がどうあればいいのか、ということを規制などかけずにその都度考えて対応していくことが大事だと思います。それは、とても面倒で手間もかかるし、熟慮が必要なことではあります。でも、白河以北一山百文と言われてきた「東北」なら、考えなくちゃ。そういう意味での「先進地」になってほしいと思います。桃源郷を「ディストピア」なんかにしちゃいけません。
 

 そういえば、この前一時帰国で、寮に帰った時。

 バイクにエンジンをかけようと思ったら、バイクに「夜10時以降は、構内乗り入れ禁止」というような主旨の張り紙がしてあって「ちょっと困ったな」と思った。ake.は夜中に、研究室からバイクで帰ってくることもあるけれど、正門から駐輪場まで、真っ暗な構内をバイクを押して歩くということになります。ake.の身体で300キロ近い重さのバイクを押して歩けってことなんですね。私にとっては、それなりに危ないことなのです。小さなことでも、規制がかけられるって、いろいろな意味で、生活がし難くなるということでもあります。
 




  


Posted by ake. at 15:05ake.thinks

2011年01月12日

「あぁ、もうっ」

 「あぁ、もうっ」。

 こういう気分になることはあまりないのだけれども...ただひとつだけ「あぁ、もうっ」っていう気持ちになることがあって、それは“ナショナリズム”の話をする時。

 今日、なんとなくwikipediaの「ナショナリズム」の解説を読んでいて、「あぁ、もうっ」って思った。こんなことを、前にも書いたことがあった。

 日本語版のwikipedia のゲルナーとホブズボウムの解釈が間違っている。

 80年代における、日本の国民国家論ブームの功罪なのかもしれないけれど、ゲルナーもホブズボウムも、“ネイションとナショナリズムが近代に無から生み出された”なんてこと、ひとことも言ってはいない。(魔法使いですか水滴
 なぜ、彼らについての、こんな解釈がまかり通っているのだろう。ゲルナーやホブズボウムが、いわゆる「断絶説」の論客だからそういう風に誤解しているのかもしれない。けれども、彼らは歴史を完全に断絶して「近代になって無から国家ができた、とか、無からナショナリズムが形成された」なんて、単純な議論をしてはいない。wikiのこの部分を書いたひとは、ゲルナーもホブズボウムも、まったく読んでいないと思う。

 ことナショナリズムに関して、ホブズボウムやゲルナーの解釈を、このwikiと同じように言っている人をものすごく多く目にする。どこかのアンチョコ本にそういう説明がしてあって、それをみんなが領有しているのだろうな、とずっと思っていた。原典を読んでいないことが、それですぐわかってしまう。
 私にたいしても、そういう話をわざわざしに来るひとがわりといるのだけれど、そういう話をしようとするひとは、ほぼ100パーセント、アンダーソンはおろか、ゲルナーもホブズボウムも読んでやしない。

 The Invention of Traditionということの意味をもう少し考えてみてほしい。
 「はい、今日からこれをわたしたちの“伝統”にしましょう」って言われて、そんなこと易々と受け入れられますか?昨日、今日になって出来上がった「伝統」のために死ねますか?そんなに簡単にナショナリズムを創れるなら、国家だの民族だのにこだわるのがアホらしいでしょう。そんなもののために、人が忠誠を誓ったり、自爆テロを起こしたすることを、どうやって説明できるというのでしょう。

 それから、80年代にあれほど国民国家論を持ち上げて自分たちもその波に乗って「金太郎飴」をやっておきながら、雪崩をうつように国民国家論批判をしている人たちがいるけれど、ものすごく重要な議論がたくさんあります。作法があると思うのです。批判するなら「自己批判も」してから、とかね。

 最近の、雪崩を打つような「国民国家論批判」について、私はちょっと気持ち悪さを感じています。それが、「金太郎飴」みたいにどれを読んでも同じということや、欧米の議論をそのまま日本に当てはめている(こういう話が出るときは、マルクスは例外なのだろうかなどと思いつつ。)...というのは四六時中聞いていていますが、そういうレベルの話ではないのです。

 もし言説分析なるものを自分の仕事にしようと思うなら、ちょっと危惧しなければならないことがあるように思うのです。この、雪崩のような「国民国家論批判」の背景には、現在の日本経済の「敗北感」が多かれ少なかれ影響しているように思います。「国民国家論批判」をする人たちには、いろいろな思想的立場の方たちがいますけれども、同じ軸から伊藤博文復権や「坂の上の雲」礼賛の論客ももちろんいます。つまり、国家主義や民族主義の良いところを見よう、という立場です。

 流れに乗って「金太郎飴」をやった人たちではなく、80年代に国民国家論そのものを構築しようとしていたひとたちは当事者だった、ということを忘れてはいけないと思います。彼らは、国家や民族に残酷なかたちで裏切られた経験を強烈に持っていた、といことを。だからこそ、国家主義や民族主義をラディカルに批判しえたのであって、そこには重要な議論がある、と私は思っています。それから、ついでに言えば、教条主義や党派的な立場からも一線を画していたひとたちでもあります。

 もっとも、“ナショナリズム”という観念そのものが、おそらくアジアにも日本にも有用な意味では根付いていません。それは、そもそもがヨーロッパの土着的な思想の枠組みだからです。国民国家論のもっとも大きな困難は、そこにあると思います。

 でも、この機会にもう一度考えてみたいと思います。
 国家あるいは民族という単位が、戦争を正当化するための単位でもある、ということを。その単位を維持しようという強烈な動きが、いまに至るまで、どんな意味を持ってきたのか、ということを。




 
 さ、気分をかえよう。

 NT常連のピアニストは、この石田さんとダイローさんのふたりで、すごいよ。石田さんのピアノはもう30回くらい聴いたかな。いつも、あのパワーがすごいと思う。村上さんと対談、どうぞ聴いてください。片山さんのsaxも聴けますicon06

Jazz.net
 http://www.jjazz.net/programs/touch-of-jazz/index.php


  


Posted by ake. at 22:18ake.thinks