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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2009年10月08日

ASSAMの記録写真

今日は台風だし、きっとバイトも休みだろうな。ということで、インドのアッサムの記録写真をまとめてみました。一挙にどうぞ。face05

 どんな国へ行っても、市場には必ず立ち寄ってきました。色とりどりで、見ているだけでウキウキしますね。ほんとうに食べ物って「元気の源」。



いろんな「イモ」を売っているおじさん。いい顔しているでしょ。


おコメを売っているおばあちゃん。このおばあちゃんから、10種類くらいのおコメを買ってきました。精米されているけれども、ほとんどは赤米と黒米なんです。


籠屋のおじさん。このおじさんから「箕」を購入しました。20ルピーを15ルピーにまけてくれました。50円くらい?!


こちらは町の中の市場、種売りのおじさん。



さっきの籠屋のおじさんから買った網代編みの「箕」です。


アッサム州グワハティ市中心部の郵便局。インドの風物詩、三輪のオートリクシャーが並んでいます。


郵便局の入口には、こうして郵送物を包装してくれる専門のひとたちがいます。カーストでもあります。結局、15ルピーぽっちで買った「箕」は、包装代が150ルピーで郵送費が300ルピーくらい。(ちなみに、ake.のアッサムでの宿代は1泊350ルピーだった。)それで、「お姉ちゃんよ、こんな箕送るのに、そんなに大金かけてどうするんだ」って、このお兄さんに大笑いされちゃって、そこらじゅうにいるひとたちと一緒に大笑いだった。とても楽しい時間だった。


包装専門家のお兄さん。カッコいいでしょ。包装用の布で箕を包んで、丁寧に針と糸を使ってかがってくれました。最後に赤い鑞(これはイギリス植民地期の習慣ですね)で印を押してくれました。


こちらは露店でライムジュースを売っているお兄さん。2ルピーくらい。チャイとかも、とにかく安い。んで、このライムの生ジュース、とてもぜいたくにいっぱいライムを絞ってくれた。甘い飲みのもなのかと思いきや…塩味だった。そうか、ここは暑いインドだからだね。


インド綿て有名ですが、こうしてコットン•カレッジとかもあります。これは、やっぱりガンジー精神が生きているんですね。


アッサム州都グワハティからハジョーという農村へ行くために乗った、乗り合いジープ。天井にも人が乗った…これはバスではなくて乗用車なんですが…20人くらい乗っているんですよ。どう考えても7人乗りの車なのに…。インドってこういうところがスゴい。私も詰め込まれているので、写真を撮るのも一苦労で、ひとの頭しか写っていなかった…。。


ハジョーの村に到着。おやつを物色しに…お菓子屋さんです。かりんとうやクッキーがいっぱい。インドのお菓子はとっても好き。icon06


インドのお菓子屋さん(カフェ)って、どこも男の人ばっかり。女性に与えられる場所って少ないと思う。こういうとき、いつもスピヴァクが頭をかすめた。。


ハジョー村の金物屋さん。


仏教寺院への参道。


寺院の山頂から見た、ハジョー村の全景


ハジョー村の田んぼ。一帯は天水田で、雨期なので水没しているんです。


寺院の表側。けっこう急な階段をのぼってきました。


お寺の参道近くに住んでいたおじさん。参道を歩いていたら、グワハティ市内の裁判所で仕事をしているこのおじさんに「お茶でも飲んでいかないかい」って声をかけられました。お言葉に甘えて、チャイとクッキーをいただきました。比較的いい家なのか、メイドさんがいて、庭にテーブルとイスを運んでお茶を準備してくれました。私はメイドさんがいる光景をはじめて見た気がします。


ハジョーの畑。タロイモと雑穀がみっしり。もちろん、ここも一面水没しています。



これが田んぼです。天水田で、雑穀も一緒に混じっています。日本の感覚からいうと「ぐちゃぐちゃだな」ってのが素直な感想です。インドの田んぼは、まさにカオス。


こんな状態…。水没した場所に種籾を直播きしているんですね。


一面タロイモ…。こんなにどうやって食べるんだろう。




タロイモも雑穀もイネも雑草もみんなぐちゃぐちゃ。楽しすぎ。


イネとタロイモが混じっているでしょう。


山へ登って眺めてみると、水没具合がわかります。




 うーん、いろいろ思い出すなぁ。旅っていいなぁ。











  


Posted by ake. at 00:49インド日記

2008年09月08日

ネパール日記 その2

8月8日の日記より。

 コルカタのゲストハウスで、扇風機にあたって寝ていたせいか、少し風邪気味だった。旅の疲れも出てきたのかだるい。高地だからかもしれない。午後2時くらいまでベッドでユルユル本を読んだりした。夕べ、隣のベッドに泊まった男の子がパキスタンへ旅立つというので、玄関まで見送った。もう半年間、日本へ帰っていないという。カトマンドゥには長期の世界旅行者も少なくない。3年も4年も放浪している人もいる。見送りついでに買ってきたバナナを食べる。4本で15Rs(30円)、バナナはインドよりちょっと高い。きっとインドから輸入しているんだな。

 カトマンドゥを歩いていると、小さなチェロみたいな楽器(サーランギという)を奏でながら歩いている人がいて、1日になんども「この楽器を買わないか」と声をかけられる。今日もだ。後ろをついてきてなかなか帰ってくれないので、思いきって「あなたは、どうしてその楽器を弾いているの?」と聞いてみた。すると「僕は音楽のカーストなんだよ」とその青年は答えたのだった。彼はカトマンドゥの大学でビジネスを勉強しながら、こうして楽器を売っているらしい。「ビジネスマンになることは可能なの?」と聞くと、「音楽のビジネスをすればいいんだよ。」という。
 日もとっぷり暮れて、シャッター閉まった店先に座って、音楽を奏でてくれた。

町並み


クマリの家。ラッキーなことにこの日は、お祭りがあってクマリの家の中庭に入ることができた。クマリというのは生き神のことらしく、ネワール族の特定のカーストから、聖性をもった初潮前の少女が選ばれる。で、初潮を迎えると、人間に戻されちゃうらしい。あの、窓の向こう側にクマリがいるのだ。


   


Posted by ake. at 01:52インド日記

2008年09月06日

ネパール日記。

 ずっとインド日記でしたが、3日間ばかり立ち寄ったネパール、カトマンドゥ日記です。

 インドにもまた行きたいけれど、ネパールは来年あたりもう一度行こうと思っています。今度はトレッキングをしに行きたいなと思っています。

 カトマンドゥに到着して、町の中心部を歩いた正直な感想は「ここは、シモキタだ」というものでした。東京下北沢の元祖は実はネパールのカトマンドゥだったのではないか…。気になるひとはぜひ行ってみてください。

カトマンドゥ市内のダルバール広場


テラコッタのバザール。こういう風景はインドも似ている。


中心部のタメル地区を抜けると、町並みは中世そのまま。


ちょっと見えにくいけれど、古い建物だけれど窓の細工がすごいんです。


お面屋さん、ネパールにも根強いカーストがあります。職業はカーストで細分化されています。


チョーク(交差点)には、こういう祠が必ずあります。


“モモ”という食べ物で、水牛のお肉を使った餃子です。ここはタメル地区のモモセンターで、
とても気に入って3回も通いました。一皿に10個盛られて、26Rs(50円)。美味しかった。


布団屋さん。綿の入れ替えをしている。


インドラ チョークの野菜市場。


これは、道祖神です。道祖神は日本と同じようにいろいろあって、だいたい性神です。
  


Posted by ake. at 22:57インド日記

2008年09月01日

マザーハウスとSHISHU BHAWANのこと

 8月5日

 5時半起床。マザーハウスへ向かう。
 
 前日の夜に、マザーハウスでの仕事についていろいろ教えてもらうことができた。今日は、韓国のヘリンさんに案内してもらって、ミサと朝食のあとにSHISHU BHAWAN(孤児の家)でボランティアすることに決めた。

 6時にミサがはじまった。神父さんは、いろいろなところから出張みたいに派遣されているらしく、この日は南米からやって来たスペイン語で説教する人だった。通訳の人が英語に訳していた。賛美歌とかもわからないので、座ってただ聞くだけだった。

 1時間ほどのミサを終えて、みんなでバナナとパンとチャイの朝食をいただく。なんか、これだけなのに美味しかった。

 8時、マザーハウスから歩いて5分ほどのSHISHU BHAWAN(孤児院)にむかった。孤児院の子供たちの多くは、障害を抱えていて、手足がとても細い。ボランティアの仕事は、この子供たちと遊んだり、オムツを交換したり、食事を与えたりということなのだけれど、ひとつひとつの仕事がほんとうに重労働だった。この仕事を、毎日やっているマザーやシスターに頭の下がる思いがした。

 いちばん辛いなと思ったのは、食事を与えることだった。食べることはどんな人にとっても楽しいことだと思っていたけれど、ここの子供たちの多くが、食事を拒絶するのだった。食事は、栄養も考えられていて流動食なのだけれど、その流動食さえも飲み込むことが難しく、子供たちにとって食事は、苦痛以外のなにものでもないのだった。口をこじあけて、無理やり食べさせているマザーがはじめはオニババのように見えたけれど、この子供たちがもし自力で食べ物を食べられなくなってしまったら、あとは死しかないのだと思う。強い力で食べることを拒絶する子供たちを目の前にして、泣きたくなった。

 あとで、考え直して削除するかもしれないけれど、今は書いておこうと思う。

 インドのこの孤児院に、日本人の子供がひとりいたということを。ようやく立ち上がることができるようになった1歳のとてもかわいい男の子だった。目の見えない男の子だった。なぜ、この子がインドに置き去りにされたのか、事情はまったくわからない。屈託のない笑顔を振りまいて、男の子は生きていた。

 
  

    


Posted by ake. at 01:09インド日記

2008年09月01日

コルカタとマザーハウス

 アッサムの日記はまだまだ続くのだけれど、先に進まないのでひとまず旅の経過を書くことにする。

 8月4日。アッサムから空路でコルカタへ向かった。

 朝9時にホテルをチェックアウト、10時半にバスターミナル行きのバスへ乗る。途中、屋台でお菓子とチャイの朝食をとって、グワハティ大学へ立ち寄った。近くに郵便局があったので、1Rsで4枚綴りのポストカードを購入(エアメールなのに4枚で3円て安過ぎだと思う…)。バザールで購入した箕も送る。グワハティ大学から、バスに乗って空港へ向かった。バスは楽しくて、いろんな人が話しかけてくるし、「空港まではもう少しだから」「次の停留所だから」とか目的地までをみんながちゃんと教えてくれる。空港でのスパイス・ジェットのカウンターでは、来るときと同じように、ひと悶着あったけれど、こっちもだんだん慣れてきていて、チケットは最終的には発券してくれることが分かっている。それでも、少しは不安だ。

 コルカタへ着いたのは3時。昔はカルカッタって呼ばれていた、歴史のある街だ。コルカタの滞在は2日間だけで、次はネパールのカトマンドゥへ向かうことになっている。コルカタの短い2日間は、マザーハウスでボランティアをする予定になっている。

 空港からバスと地下鉄を乗り継いで、市内へ入り、その足でマザーハウスへ向かった。コルカタに到着した日は水曜日だったので、ボランティアの登録日の日だった。でも3時の受け付けには間に合わず、居合わせたシスターに事情を話して、明日ボランティアをさせてもらうことになった。5日は朝6時のミサに出て、その後朝食をみんなで食べて、8時から仕事についてくれという指示を受けた。

 さて、宿を探さなくてはいけない。マザーハウスを出たら7時近くになっていた。2軒ほどゲストハウスを見たけれど、いまひとつで、結局、サダルストリートの有名なパラゴンというバックパッカーの宿に決めた。1泊90Rs(250円)。

 部屋は6人部屋で、私の両隣にアメリカの女の子、台湾の男の子、向こう側に中国の女の子、韓国の男の子と女の子でシェアした。この宿はマザーハウスでボランティアするひとたちが集まることで知られていて、私の部屋のすべての人たちもそれぞれボランティア活動をしにコルカタにやってきたのだった。
私の隣のベッドにいたアメリカの女の子は、半年の計画でマザーハウスに来ていた。

1泊90Rsともなるとこんなかんじ。こういうバックパッカー専用の宿がインドにはたくさんある。だけど、時々麻薬をやっている人なんかもいるので、気をつけなくちゃいけない。



 

   


Posted by ake. at 00:22インド日記

2008年08月25日

世界はどこだって似ている。

 タージ・マハルの中に小さな郵便局があって、そこから私は4通のポストカードを送った。郵便局の奥にテーブルとソファがあったので、そこでハガキを書かせてもらった。

 郵便局のおじさんがいろいろ話しかけてくるので、なかなかハガキが書けなくて困った…。どこから来たのとか、インドにはどれくらいいるのとか、彼氏はいるのかとか…。挙句、「インドにはこういうエロティックな石造がいっぱいあるんだ」といってsexしているシヴァの仏像とかの写真集まで出してくる始末だった。インドでいろんな人にいろんな話を聞かれたけれど、日本で同じことを聞かれたらセクハラになると思うようなことも結構平気で言われる。だんだん面倒になってきたので、なんかテキトーに「インドには日本とよく似たカルチャーがありますね」って何気に言ったら、そのおじさんは「えっ!?」って不思議な顔をして、「世界はどこだって似ているじゃないか」って言った。「あ、その通りですね」って言って笑ってしまった。

 「世界はどこだって似ているじゃないか。」 おじさん…名言です。

 インドへ来る少し前に、京都の田中先生がインドの稲作地帯について教えてくださった。田中先生は、ノートに逆三角形のインドを書いて、東経80度線を南北へ一本引いた。インドが東西真っ二つになった。「東経80度線から西は麦、東は稲」。パンとコメのカルチャーの境界線ともおぼしい。

 世界はどこだって似ている。

 世界はどこだって似ている。

 世界はどこだって似ている。

 日本と中国と韓国の文化は似ているから、東アジア共同体って…インドも似ているよ、トルコも…ヨーロッパも…。

 できるだけ似ている者同士と一緒になって、できるだけ似ていない者たちと敵対することって…どうしてそういうことが可能なんだろう。だって「世界はどこだって似ている」のに。
 
 人はどうして群れるのか、どうして敵をつくるのか―そういうことを知りたいと思う。

さて、次は動物行動学かなぁ。


 
 
   


Posted by ake. at 03:19インド日記

2008年08月23日

Assamの風景と民間信仰

インド5日目。
 グワハティからローカルバスを乗り継いで1時間半ほどのHajoという村へ。このハジョーという村はAssamの中でも特異な場所であるらしい。インドには御存じのように、ヒンドゥー教、イスラム教、仏教の3つの宗教が犇めいているのだが、Hajoはこの3つの宗教が混在した文化を形成している。しかも、Hajoに見られる宗教はいわゆる大文字の宗教ではなく、「民間信仰」である。日本でいうところの山岳信仰のようなかたちで、それぞれの寺院が隣の山どうしの密林の中にひっそりと佇んでいる。ムスリムの寺院と仏教寺院なんかがこんなに近く隣接しているというのは、他所ではあまり考えられないのかもしれない。歴史的に言えば、このHajoは中世初期に3つの異なる王族の支配下に置かれ、それぞれの宗教と政治が影響しあって融合し、現在のHajoの文化背景を形成しているようである。

Hajoへの乗合自動車。パジェロみたいな車に20人くらい乗る。屋根にも乗る。「定員」なんて言葉はインドにはない…。グワハティのバスターミナルからハジョーまで約30キロ。乗合自動車で20Rs(60円)。


Hayagrib Madhab Templeの山門。民家の間をひたすら歩き続けたところに忽然とあらわれた山門。看板なんてない。道は人に聞くしかない。


長い参道をのぼる。途中、目が見えないひとや障害者が物乞いをしていたりする。下の山門で靴を脱いでのぼる…ひたすらのぼる。
聖域の中での写真撮影は一切許されなかったが、仏教寺院であるHayagrib Madhab Templeのご本尊は、鶴見俊輔ならば「これはクロポトケですねぇ」と言ったに違いないと思う。クロ仏だった。気が向いたらパンフレットに掲載されているご本尊をスキャンしようと思うけれど、いかにも民間信仰のイコン。めいっぱい手づくり!というかんじの像だった。

裏側の参道:どうして壊れているのかわからない…。


Hayagrib Madhab Templeの山門を歩いていたら「どこから来たの?」と呼びとめられた。「日本から田んぼを見に来たんです」と言うと、お宅の庭先でお茶とクッキーをご馳走してくれた。グワハティ市内の裁判所で仕事をしているというこのおじさんの部屋には本がいっぱいあって、「Hajoのパンフレットがあるんだ」と言って、英語版とヒンドゥー版のものをいただいた。ありがとうございました。チャイご馳走様でした。


Hajoの畑。大きい葉っぱはタロイモ、雑穀、しかも稲も混じっている。



楽しそうに牛フンを丸めているおばあちゃん。Hajoの家々の庭には、ホットケーキみたいになった牛フンが何百個も干されていた。これは、冬に燃料になるのだと思う。怪訝な顔つきしているように見えるけど…楽しそうでしょ。


山道。びっくりしたのは寺院への道はことごとく舗装されている!ということ。デリーのメインバザールだって土埃があがるような道だったのに、こんな山の中の道がアスファルトなのです。ともあれ、この道を、ひとりで2キロも登るのは心細かったです…しかもムスリムの寺院に向かう山道。密林の中からゲリラとか出てきたら「どうしようかなぁ」って思っていました。というのも、近くにこれまた政府軍の駐屯地みたいなのがあったからです。こんな小さな村の山の中でも、軍隊がにらみをきかせているのです。

ムスリム寺院 Poa-mecca山頂付近からの眺望



Por-meccaでは全く写真を撮ることができなかった。そんな場合ではなく、ちょっと緊張した場面があった。寺院にたどり着いて、私は靴を脱いで本尊のところで手を合わせたのだが、立ち去ろうとしたところで、ちょっと偉い感じのこのお寺のムスリムのお坊さんが近づいてきた。そして「きみは、このお寺がどういう寺か知っているのか?」と言われたんである。あ、この質問のされ方はちょっとヤバいかも…と思った私は「はい、ここはムスリムのお寺で、Hajoには3つの宗教寺院が密接・融合してあるということを聞いています」と答えた。お坊さんは頷いていたけれども、明らかに部外者へ対する難色を示す態度だった。ここは、即座に立ち去った方が良いと思った。私は深く頭をさげて、下山することにした。100人くらいの参拝者がいただろうか、外国人は私ひとりだけだった。すべての人が、私を動きを見ていた。

下山途中、雨に降られた。スコールだ。でも、とても暑い日だったので、気持ちよかった。


ムスリム寺院Por-meccaから隣接する山のヒンドゥー寺院Kedaresware Templeを望む。こんな風に隣どうしの山に異なる宗教寺院が建てられている。山岳宗教という感じ。


ちょっと危なかったかなと思ったPor-meccaの山を下山したところで、またまた声をかけられる。「まあ、お茶でも飲んで行きなよ。」と言われて小屋みたいなcafeに入る。外国人が珍しいらしく、近所の人たちがかわるがわるやってきた。みんなでお金を出し合って、チャイとお菓子をご馳走してくれた。Assamの人たちは、ほんとうにみんな良い人たちなんである(涙。何かをくれるからというわけじゃなくて、道を訊ねても、ほんとうに親切に接してくれる。インドの人たちは、みんなとても親切だったけれど、Assamの人たちは格別に人情あふれている。

食べる前に写真を撮るべきなんだけれど、いつも食べ終わってから「シマッタ」と思う…。チャイとお菓子のお礼に、折り紙で鶴。外国へ行く時、私は必ず折り紙を持っていくのです。話の種にもなるしね。
  


Posted by ake. at 00:47インド日記

2008年08月21日

Assamの箕のこと

インド4日目。

 グワハティ大学へ行くつもりで、出かけたのでしたが、途中博物館を見つけたのでバスを降りて立ち寄ることにしました。デリーでもNational museumに行ったのでしたが、展示はAssam state museumの方が良いなと思いました。これまで7カ国くらいの博物館や美術館を見てきましたが、こうした文化施設にはお国事情があらわれると言っても過言ではないのです。アグラでのストリートチルドレンについても少し書きましたが、インフラが整わないと、文化施設にお金をまわすのは難しいのですね。インドは重要文化財の宝庫でもあるわけですが、その保存状態は良いとは言えません。特に、曼荼羅のように紙や布類に描かれた美術品については、あのままの展示だと200年後くらいには紫外線にやられて粉々になってしまうだろうな…と思われました。でも、それはモノに執着している人間のエゴかもしれませんし、インドにはインドの価値観があるのかもしれないとも思うのです。朽ちるには朽ちるに任せるという考え方もあるのかもしれません。

 日本も、近年は博物館や美術館の運営が難しくなっていますが、本当はAssamの博物館のようなところと提携して共同研究などができれば、ひとつの国にとどまらない知の探究もできると思うのですが、絵空事と言われるのでしょうか。
 いろいろと質問もしたかったので、Assam博物館の方に聞いてみたのですが、学芸員はいないようでした。「Assamの稲作と民族、習俗、神話などについて伺いたいのですが」とたずねたものの、農業センターの住所を丁寧に教えてくれました。



農具も漁具も、日本で見かけるものとよく似ています。否、同じといっても過言ではありません。例えばこの箕。インドへ来て、こんなに箕をみるとは思っていませんでした。バザールでも普通に売られていました。アッサムは竹細工が盛んな地域でもあります。竹ってイネ科なんです。


それから、これは少し深遠な問いですけれども。インドのすべての職業にカーストが関係している、それは竹職人も例外ではありません。そのことについては、もう少しきちんと調べてから書きたいと思います。















川沿いの市場で竹製品を売っているおじさん。上のふたつの箕もここにあったものです。箕は20Rsと25Rsで売られていました。20Rsというとインドのランチがそれくらいの価格です。インドの物価と照らし合わせてみても、すごく安いのです。生活品としてありふれたものなのでしょうけれども、日本の場合、かつて箕は高値で取引されていましたので、以外な感じがしました。


軒先につるされた丸箕。これはグワハティから30キロほどはなれたHajoという村のカゴ屋さん。こういう風に売られているんですね。



グワハティの街はずれ、川沿いの野菜市場。おコメを売っているおばあちゃん。
6種類ほどのおコメをこのおばあちゃんから購入しました。精米しているので一見白米にみえますが、ほとんどが「赤米」です。長いおコメと短いおコメ…いろんな種類のおコメが売っています。日本とは対照的ですね。日本のおコメ屋さんには中粒種のおコメしか売っていません。


Assamのとある民族の習俗。竿の先に鳥。別に「ソッテ」とかいうつもりはありません。



グワハティ大学の正門。別に「鳥居」とかいうつもりはありません。これは門です。


展示されていた博物館の写真をうつしただけですが…焼畑です。


高床式の民家兼倉庫。


竹の家


朝の野菜市場は、見ていて本当に楽しい。ハーブはスパイスがいっぱい。それから、トマト、なす、キュウリ、おくら、ジャガイモ、ニンジン、ニンニク…ほとんどが日本でも見られる野菜ばかりだ。
  


Posted by ake. at 20:03インド日記

2008年08月21日

Assamへ

 インド3日目。
 デリーから空路でアッサムへ出発。国内線で2時間半といったところ。チケットは、事前に日本からネットで予約済み(Spaice jetというインドの国内線格安航空会社)だったけれど、チケットカウンターで、ちょっとスッタモンダした。そういえば、今回の旅にはクレジットカードもキャッシュカードも持ってきていない。チケットをクレジットカードで決済したのだったけれど、チケットカウンターでカードの提示を求められたのだ。いろいろ訳を話して最終的にはチケットをカード決済で発行してくれることになった。現金払いでも、1万強といったところだったけれど、この先の旅のことを考えると、現金でチケットを購入するのはちょっと厳しいなと思ったので、無理やり交渉することにした。日本ですでに決済済みではあるので、本人確認のためのIDチェックなのだけれど、インドだと思って実はたかをくくっていたのですね、やはり、それなりに厳しいのです。ともあれ、Space jetはID確認が厳しかったけれど、同じように日本からネットでBookingしたAir Indiaはまったくお構いなしでした。これがインドですね(笑)。

 さて、Assam自治州の州都Gwahatiグワハティに到着です。上空からのAssamの眺めは本当に素晴らしく、パッチワークのように田んぼと雑穀の畑が広がっています。今は雨季なので、水面が鏡のように緑と青空を映しこんでいました。



 まず、宿を探さなくてはなりません。空港にツーリストセンターがあったので、バックパッカー用の安い宿はないかとカウンターで聞いてみました。でも、デリーなどの街とは違って地方都市ともなると、安くても400Rsだよと言われました。(400Rsといっても1日1000円といったところです。)それでも、「もう少し安いところはないでしょうか」と何度も訪ねて、Assam観光センターが運営しているホテルを330Rsで提供してもらえることになりました。これはとても有難かったです。
 この日記でも何回かお話してきたのですが、Assamの治安はあまりよくありません、観光センターの方がかなり善処してくれたのです。しかも、空港から街の中心部のホテルまで私をリクシャーに乗せて連れて行ってくれたのです。どこの誰だか知らない旅行者でも、安全に観光できるように、最大限の配慮をしてくれたのでした。

通常なら500Rsはするだろうな、と思われるお部屋でした。ベランダからはテニスコートが見えます。
 

 そういえば、空港に着陸するとき、私は不意に目撃してしまったのだけれど。滑走路のすぐ脇に青いビニールシートを屋根にして生活している家族がいました。何しろ、私の乗っている飛行機が着地した滑走路のすぐ脇だったのですから。私は飛行機の小さな窓からそれを見たのです。一見、のどかな農村風景が広がっているのに、こんな危ない場所で生活しているなんてちょっと信じられなかったのですが、いまAssamにいったい何が起こっているのでしょうか。

 宿で一休みしてから、すぐ近くのグワハティ駅へ行ってみることにしまた。空港ではそれほど感じなかったのですが、駅周辺はひどくスラム化していて、私のような旅行者がひとりで歩いているのは危険かもしれないと思って、短時間で駅を出ることにしました。駅には、汽車待ちのひとたちなのか、みな膝を抱えて地べたに座っていますが、その光景は他の駅で見かけた状況とは異なっていました。仕事がなくてここで寝ているひともだいぶいるようでした。「難民」という言葉が頭を過ります。また、どこの駅に行っても銃を持った政府軍が入口にいて、金属探知器のゲートをくぐらなければ駅構内に入ることもできないようになっているのですが、グワハティの駅の兵士の数は明らかに多いのです。
 駅からちょっと出てみると、すぐ向かいに政府軍の駐屯地があって、民族過激派に備えているのが分かりました。私が、グワハティに到着した夜、テレビのニュースになっていたのですが、グワハティ駅で、数十本のダイナマイトを隠し持っていた過激派の男が逮捕されました。

 Assamは多数の民族でなっている地域ですが、インドからの独立を主張する人たちが少なくありません。いろいろな要因があるのですが、ひとつには、ここはAssamティーで有名な場所なのですが、そのお茶畑の大部分はデリーなどの富裕層の土地所有で、現地の人たちは奴隷的に従属して働かせられているというのが実態のようです。お茶の栽培は、そもそもが植民地時代にイギリス人によってすすめられた産業ですが、植民地時代が終わりをむかえても、依然としてAssamは中央への従属的状況に喘いでいるというのが現実です。ですから、民族派ゲリラの主張もそれなりの訳があって出てきている、と思うのです。
 スラム化というのは、基本的には都市に集中して起こる現象なのですが、のどかな風景が広がるAssamで政府軍が睨みをきかせていたりする光景は、ほんとうに痛ましいものがあります。



 


 
 

 
 


   


Posted by ake. at 03:00インド日記

2008年08月16日

タージマハルのこと-日記より-

 7月30日(水)

 朝7時に宿を出発して、アグラ-へ。運転手はJain。途中、田んぼの風景を見たり、あのオレンジTの一行を見たりと、片道5時間はあっという間に過ぎた。インドはやっぱり広いんだなぁ。

 まずは、ムガール帝国時代のアグラー城へ。「ひとりで大丈夫だよ」と言ったけれど、Jainが入口までついてきてくれる。「アグラー城の周辺はスラム化がひどくて、とても危険な場所なんだよ、とにかく気をつけてね。ジャパニーには声をかけてくる人がたくさんいるから」。途中の道で、そのような雰囲気は感じられた。さて、気をつけねば。とくにジャパニーの女性には、客引きとか物売りが凄まじく、それだけで旅の疲労が5倍くらいになる。デリーにもたくさんいたけれど、アグラーにもストリートチルドレンがキーホルダーを持って「50ドル」とかいってくるのだ。そのうち10ルピーにいきなり下がったりする。とにかくいろんな人たちがいる。子供たちは片言の日本語を話しながら何人も何人もやってきて、いつの間にか自分のまわりが子供だらけになってしまって、切なくなったりした。

男女分けて入場しセキュリティチェックされる。


ずっと向こう側のタージの上にゴマみたいに行列ができていますが、2時間くらい並ばないとタージの中までたどりつけません…。


 さて、世界遺産のタージマハル。入場は、インドの寺院の中で最も厳しいのではないかと思う。男女性別でゲートを二つに分けて、手荷物チェックと金属探知器。ここまでは、National museumでも同じだ。でも、バックの中身はかなり入念にチェックされて、前の方にいた現地の女性はアーモンドとかピーナッツの類も没収されていた。麻薬だと誤解されるからだ。とりわけ、私の目の前のお婆ちゃんはちょっと気の毒だった。女性警備員が、このお婆ちゃんに向かって「これはチベットよ!」と叫んだのである。お婆ちゃんの被っていたスカーフには曼荼羅のようなプリントがされていて、経典も書かれていた。警備員がスカーフを奪うように引っ張るけれど、お婆ちゃんも負けない、信念がある。ここは、ムスリムの寺なのだ。80%くらいは穏健なムスリムだけれども、中には原理主義者もいる。だから、無用なトラブルを避けるために、こうした措置がとられているのだろう。日本にいるとわからないことが、本当にいっぱいだ。
 
 タージマハルへは、皆靴を脱いで裸足で大理石のタージに上ってゆく。この寺院は、600キロも離れた採掘場から大理石を運び、22年の歳月をかけて建設された。おかげで、王国は見事に傾いた。愛する妻の墓なのである。

大河に悠然とそびえたっているのが、タージです。それ以外には、なにもないのです。



 



 
 




  


Posted by ake. at 16:13インド日記

2008年08月16日

Vegの思想

 インドへ行って、まず思ったことは、Veg / Non-vegの思想的な違いということでした。

 私自身の個人的な出来事でいえば、最近、日本で出会った人たちの多くがVegitarianだったという事情にもよります。韓国の平和運動家たちもすべてVegだったし、洞爺湖Counter G8のレセプションに来た多くの「知識人」(かっこつけますね)がVegan(完全菜食主義:牛乳、蜂蜜も×、革製品を身につけるのも×)だったのには、ちょっと驚いたくらいでした。特に平和運動の界隈では、信念としてのVegetarianismが存在していることを知ったのでした。

 なぜ、そんなことについてあれこれ考えているのかというと、そもそも「食」にまつわる思想について研究しているから、ということもあるのですが、日本に精進料理は存在するけれども、カツオ出汁などに慣れている日本人一般にとって、Veg料理を作るというのはとても難しいことなのだときづかされたのでした。それは、Counter G8のレセプション用のVeg料理を50人前作るという経験の中で思ったことでした。

 インドは、ビンドゥー教徒がVegです。そして、Veg料理が本当に美味しいのです。その美味しさの秘密は、数え切れないほどの香辛料によるものです。道路脇の屋台で売っているフライドポテトとカットトマトにブラックペッパー、塩とグリーンペースト(コリアンダーのソース)が混ぜてあるだけのVeg料理。葉っぱのお皿に、お玉一杯分盛られて4Rs(12円)。これがまた、ほんとうに美味しかったのです。

 そんなこともあって、インドには美味しいVeg料理を食べられる知恵があるんだなぁということに気がついたのでした。そこには豊かな香辛料があったのです。
 ともあれ、私は食い気が過ぎるので、食べ終わってお皿がからっぽになってから写真を撮ることに気がついて「シマッタ!」…泣。

↓ 肝心の食べ物の写真が探してもこれくらいしかなかった…。ほんとうのことをいうと、毎日お菓子ばっかり食べていたのです。のどが痛くなるくらい甘~いお菓子ばっかり…。大きいのは日本で言うとカリントウ。小さくって円いのはドーナッツをシロップに漬けたもの…これまたエラク甘~い。。けど、病みつきになりました。


 インド初日と2日目に、私は贅沢にもTaxiをチャーターしてデリー市内とアグラ(世界遺産のアンコールワット)をまわったのでした。3日目にはAssamに行く予定になっており、時間も限られていました。なるべく効率よく見るところは見て、Assamの情報を得たかったからです。そもそも『地球の歩き方』にAssamの情報は掲載されていません。外務省でも渡航を見合わせるようにとアナウンスしています。Assam自治州は民族紛争が多く、インドからの独立闘争のために過激派が度々テロを起こすことで知られています。一説によると、Assamの紅茶畑は、ほとんどがこうしたゲリラへの金銭授受を強要されているらしく、紅茶畑へ不用意に立ち入ることも難しいようです。Assamの事情については、また後で書きますね。
 デリーへ入っても、Assamの観光情報はほとんどえられなかったのですが、Taxiの運転手をしてくれたJain(敬虔なヒンドゥー教徒)がAssam自治州局、Assam観光局と情報を得られそうな場所をいろいろ走ってくれました。パンフレットなどたくさんもらうことはできたのですが、見たところだいぶ古いもののようでしたが、無いよりはましかなと思いました(笑)。

 インド2日目にアグラへ。
 デリーからアグラまでは車で片道5時間もかかるのですが、Jainは疲れも見せず走っていきます。途中、オレンジ色のTシャツを着たたくさんの人たちが、トラックに乗って爆音を鳴らしながらお祭り騒ぎをしていました。「あれは何?」と聞くと「7月から8月にかけての1か月間はヒンドゥーのお祭りなんだよ。」とJain。そしてさらに、オレンジTシャツの彼らを観察すると、水の入ったペットボトルをリレーしているのです。だいたい200メートル毎に、オレンジTの人が立っていて、ボトルを次の人に渡しているんです。
「どうして、ボトルをリレーしているの?」とまたJainに聞きます。「あのボトルにはね、ガンガーの聖水が入っているんだよ、ヴァラナスィ(ガンガー沐浴で有名な場所)から聖水を汲んで、それを自分たちの故郷のシヴァ神にかけてやるためなんだよ。」。
 1か月間のお遍路といったところですね。広いインドですから、バラナスィへの道行きは途方もない距離なのですが、その距離を徒歩で行く人もあります。一族郎党でトラックへ乗っていく人たちもいるし、汽車の人もいます。ガンガーの聖地ヴァラナスィへお参りに行くのがインドの人々の念願でもあります。やがて自分がなくなった後もガンガーへ葬られることが望みなのですね。そうして、自分の郷里のシヴァ神にガンガーの聖水をかけてやる。そういうお祭りがあるんですね。お蔭参りとでもいいますか…。

オレンジTシャツの人たち:1か月間仕事はどうしているのか…他人事ながらちょっと心配してみたり…。


さて、Jainはお昼のレストランで「僕は一緒に食べられないんだ」というのです。「それじゃ、私もVegにするよ」というと「No!」(それはよくない)とJainは言いました。彼はかなり厳格なVeg。Non-Vegの人と一緒に食事ができないのです。その時、はじめて、宗教の違いによって一緒に食事をできないこともあることを、私は知ったのでした。

 今夜は宮沢賢治『ベジタリアン大祭』を読んで眠ることにします。1930年代に書かれているのですが、驚くような内容ですね。Veg / Non-vegの葛藤を描いています。


Vegカレー:バラナスィ屋台で。チャイは毎日飲んでいました。美味しいんだぁこれが。


チャイはガラスのコップに入れられている時もあるけれど、こうしてテラコッタの使い捨てカップに入れられている時もある。




 

   


Posted by ake. at 01:38インド日記

2008年08月14日

インド神隠し

帰国しました。

インドと日本の時差は3時間半なのでボケというほどではありませんが、外国から帰ってくると、しばらくは夢でも見ていた気持ちになりますね。ぼんやりしています。神隠しにあった子どももこんな感じかなぁと思ったりします。これまで行ってきたどの国もよかったけれど、インドも大好きな国のひとつになりました。すごく、いろんな出会いのあった17日間でした。

『インド日記』 ‐神と情のくに‐



 インド旅行最終日。デリーのBook cafeで南インドの有機珈琲を飲みながら、中心部のコンノートプレイスを眺めていました。TATAだけでなく、日本車もいっぱい、ベンツも颯爽と走っていきます。緑と黄色のオートリクシャーは、もうすぐこの町から姿を消すのかもしれません。
 メイン・バザールのような下町を抜けると、中心部はここがアメリカとかパリと言われても、見分けはつきません。やがて、この風景はインド全土に広がってゆくのでしょう。吉野家がインド進出なんてことまで頭を過ったのでしたが、そんなことを考えるのは止すことにしました。
 インドは、とても気になる場所です。いま、インドの人々の満ち溢れるエネルギーと旋風巻き起こすナショナリズムに何が隠されているのか、ほんのほんの少しわかったような気がしているのです。


銀行の前を牛が荷を引いてゆく、首都デリーの街はずれ

 次はどこへ行くの?と聞かれて「Assam」と答えると、「そんなCountry sideへ?!」と言われたのでした。気になるひとは、Assamがどれくらい“Country side”なのか、地図で確認してほしいと思います。ここは、インドであってインドでない。私のヨーロッパ旅行も、フランスであってフランスでない「あの場所」とかそういうところばかりを好んで訪れてきました。なんでしょうね…日本であって日本でない「あの場所」とかね…。(笑)「あいまいな場所」に来てみると、どこからドコまでが、何処に属しているということが分からなくなってきますね。ただ、ひとはどんどん流れてゆく。ものも文化も次々と人の手、ひとの手に渡ってゆきます。そのエネルギーの凄まじいことといったら。

はてさて…

アッサム:雨季なので、ほとんど水没していますが、天水田とタロイモ畑が広がっています。とても美しかった。人も温かかった。


 帰りの飛行機の中で、いま一度“民衆交易”としてのFair tradeを再開してもいいかな、と心を動かされていた。今度はAssamを舞台に…。メキシコもサパティスタと政府が闘争している場所だった。Assamも状況は似通っている…メキシコは珈琲だった。同じように、Assamの紅茶畑は闘争の場になっている。おコメと紅茶とシルクの織物と竹細工がさかんな場所。
 例えば織物でも良いと思った。インド更紗はすでに中世日本に輸入され着物になっている。Assamのシルクを、日本で誂えて、着物にしてみる…とか。否、しかし、先進国の連中と組んで、現地の織姫たちがゲリラに嫌がらせされたらどうするか…。グルグル頭を駆け巡っていた。Assamは依然として、ヨーロッパ植民地時代を引きずりながら、あるいはまたインドの内部における植民地なのだ。


  


Posted by ake. at 02:20インド日記

2008年08月10日

インドより

わが師も書いた「インド日記」というものを、してみんとてするなり。

今日は、インドのバラーナスィーという、ガンガーの聖地に来ています。今ほど火葬場へいってきました。山のように遺体を焼くための薪が積まれていました。道々を布の包まれた遺体がつぎつぎに運ばれてゆきました。いつかは、自分も死に逝く運命にあることを、否応なしに対峙させられます。

カーストによって、焼かれる場所も違うようですが、今は雨期のためもあって、ガートの上のほうで身分の区別なく焼かれるそうです。

朝、ガンガーの日の出と沐浴も見てきました。

さて、あと残り少しのインドです。

フィールドワークのことも含め、ノートがいっぱいになっているので、写真と一緒に、帰国したら少しずつアップしたいと思います。

無事帰国できますように。

ake.  


Posted by ake. at 17:35インド日記

2008年07月27日

とりあえずのインド計画

 期限切れの10年パスポートを更新したので、真っさらになりました。

 はじめて海外旅行に行ったのは18歳のときのアメリカでした。ミネソタ州のベミッジという小さな田舎町でホームステイしました。穏やかな田舎町だけれど、時々、白人とネイティブアメリカンの抗争のあるようなところでした。自転車をこっそり借りて2時間くらいひとりでサイクリングして帰ったら「あなたがいないので、警察に連絡するところだった」と、相当に家族を心配させてしまったのでした。なかなかにゴージャスなお宅で、ひろい裏庭の向こうにミシシッピ川が流れていて、ピクニックのときはボートで川を下ってトムソーヤみたいに遊んだのでした。パパのピーターは、中国考古学の学者でした。以前は秋田県のミネソタ州立大学で仕事をしていたひとでした。家の玄関には兵馬俑のレプリカがあって、温泉みたいに大きな檜風呂まである始末でした。(笑)それが、はじめての外国でした。どれも思い出深く、楽しい旅でした。

 学部時代はひとりでリュックを背負って、フランス、ドイツ、スイス、イタリアと鉄道の旅をしたりもしました。ヨーロッパの田舎町は結構好きで、外国へ旅行するのはカルチャーみたいな学校だったので、いろいろ迷って語学研修はフランス行きました。これまたなかなかに良い時間を過ごしました。でも、アジアは上海にしか行ったことがありません。

 さて、今回はインドです。

 何の因果が、9・11のNYでは、WTCが崩れるのを、私は目の当たりにしています。何というか、もう言葉にすれば嘘っぽくしか伝わらない気がするし、あの瞬間、正直、映画を見ているような放心した気持ちでした。怖いというような感情もわかないくらいでした。

 昨日インドでテロがありました。今回は、いつでも日程は変更して帰国する準備をしていきます。それと、デリーにはあまり長く滞在しないように予定を組みました。

ake.インド計画

7月29日Delihi 
       連絡先:4582 Main Bazar,Pahal Ganji,New Delhi
            tel: 91-11-23585357
       旅のための情報収集をしつつ、デリー大学と博物館とかを歩く予定。

7月31日Delihi → Gwahati
      空路でアッサム州グワハティへ SG881 Delhi at 11:20- Gwahati at 14:00
      お茶畑、田んぼ、機織りなどを見てくる。

8月4日 Gwahati → Kolkata
空路でグワハティからコルカタへ SG527 Gwahati at 14:05 - Kolkata at 15:15
     

8月6日 Kolkata → Kathmandu
     空路でコルカタからネパール・カトマンドゥへ IC747 Kolkata at -13:50 - Kathmandu at 15:15

8月9日 Kathmandu → Banaras
     空路でカトマンドゥからバラーナスへ
     
     ここから鉄道で、アラハバード、アグラ‐を経由してデリーへ

8月13日Delhi→Hongkong→Japan
 
宿泊先は未定。


ほんじゃ、また。
  


Posted by ake. at 05:19インド日記

2008年07月20日

インド計画。

 さて、少しづつインドモードに切り替わりつつあります。今日はぼちぼち『地球の歩き方』を読んでいました。ともあれ、今回、旅のメインに設定したアッサム自治州は、外務省が「渡航延期」を要請しているせいか、ガイドブックにも掲載されていないため、ネットで一日かけて情報収集をしました。民族も多く、独立自治権を獲得するために紛争も時折起きているているようです。

 なぜアッサムなのかといえば、ここが中国雲南省と共に、稲作の起源の地とも言われてきたからです。はじめは、コルカタからベンガル湾を南下しようかと思ったのですが、デリーから空路でアッサム州都のゴーハティに入ることにしました。節約の旅でもあるので、飛行機代で2000INRは痛いなぁと思ったのですけれど、お茶と機織りと稲作がどういうふうに複合経営されているのか、風景を見てこようと思っています。

 もちろん、経済成長の激しいインドですから、近代農業をやっているには違いないと思いますけれども、日本のような極端な集約農業でないことは確かだと思います。あとは、おコメの習俗とか民話でもあったら拾ってこようと思っています。

 コルカタからネパールのカトマンドゥに行くのを検討中。

 ただいま計画中……face13

 
 
 
 
 
   


Posted by ake. at 01:36Comments(1)インド日記

2008年07月16日

インドvisaをとりにいく。

 夏休みを前に、20日間ほどインドを周遊することにしました。デリーからベンガル地方へ抜ける稲作地帯を歩くのが、今回の旅の目的です。
 インドに入国するには、パスポートの他にインドvisaが必要で、茗荷谷までいってきました。インドvisaの申請窓口は大塚のお茶の水女子大の向かい側のテナントビルの1階にあります。
 近頃は、原油高騰で海外旅行者も減少していると聞いていましたので、それほど混雑しないだろうと思っていました。でも、私が窓口に着いたときにはすでに300人くらいのひとが並んでいて、驚きました。1日2000人くらいの申請者が来る日もあるようです。ビジネスマンも非常に多かったです。渡航者は軒並み増加しているようですが、いま、インドになにが起こっているのでしょうか。
 
 
   


Posted by ake. at 07:20Comments(0)インド日記