2011年12月06日

『ラーメンと愛国』速水建朗

 食とナショナリズムをテーマとした研究は、欧米ではすでに歴史研究の一ジャンルになっている。そのほとんどは、1950年代半ば以降の歴史社会学や社会史の分野から出てきたものだが、方法論としてはミシェル・フーコーの権力論を内包しつつ発展してきた。
 この分野の研究で比較的よく知られているのは、新歴史主義の中から出た、ポテトの研究だ。わたしの手元にある“The potato in the materialist imagnation”という論文には、16世紀後半ころまでヨーロッパには“potato”という言葉はなく“batata”と呼ばれており、食糧危機を回避するために南米からスペインへ輸入された“potato”が下層階級の「野蛮な食べもの」として位置づけられてゆく過程を追っている。ジャガイモの原産地への創造力は“劣った文明”という認識を食べものに反映してゆく。これが、やがてイモを主食とする人々へ対する差別にもつながっていったのだが、いまではポテトはすっかりヨーロッパの日常生活に欠かせない食べものになっている。

 その後、続々とカマンベールやワイン、トウモロコシの研究といったもが出てきた。こうした食べものの研究は、かつては文化人類学がテーマとしていたものでもあったが、それが民族主義や宗教思想との接点で論じられるようになったのは、以上のような経緯からだ。キリストの血と肉を象徴するワインとパン、牛や豚といった肉食を禁忌するイスラム教やヒンドゥ教...ユダヤ教、コメと神道...枚挙にいとまがない。

 食をめぐるナショナリズムの勃興要因のひとつは、グローバリゼーションである。外国(多くは植民地)からもたらされた見たこともない食べものと対峙するとき、人々が感じる初発の抵抗感。自分たちが馴染んできた食べものへの愛着とのせめぎ合い。だが、それは管見のかぎりでは、どうも一時的なもののようである。

 日本には、朝食を珈琲とパンですませることに抵抗を覚えた人々が、ある時期にはいたと思う。このごろは聞かなくなったけれど「マクドナルドでは食材に食用ミミズが使われている」という都市伝説などなど。食べものにたいする人々の心情を反映した「反応」は、とても興味深いものだ。

 速水健朗さんの『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)の出発点は、戦後の闇市。チキンラーメンを発明した安藤百福の話からはじまる。“工業製品としてのラーメン”の発想は、かつての植民地であった台湾を出自とする百福のひらめきだった。

 ラーメンが、「日本人」の国民食と呼ばれるようになるまでには、いろいろな伏線がしかれているが、もっとも大きな影響をあたえたのは、GHQ占領期におけるアメリカの小麦政策だった。

 こうして、旧植民地からのひらめきとアメリカ小麦政策、フォーディズムが相まって、戦後のラーメン文化が幕開けする。

 食文化をめぐる、ある種の「想像の共同体(アンダーソン)」が成立するには、それなりの準備期間というものが必要で、国民の圧倒的多数がその味覚を共有するという「経験」をどこかで有する必要がある。フォーディズムによって大量生産されたチキンラーメンは、ラーメンという食文化を根付かせる素地をつくったといえよう。
 わたしは、よく覚えている。わたしたちの世代の知っている「チキンラーメン」はリバイバルなのだが、わたしにとってはじめての「チキンラーメン」を、父親が「懐かしいね」と言ったことを。

 実際に『ラーメンと愛国』を読んでいただきたいと思うので、この先は詳述しないが、時代は「インスタント・ラーメン」から「ご当地ラーメン」そしてフランチャイズと平行しながら「一風堂」などといったブランド化するラーメンの登場と相成る。ここで、にわかにラーメン店の様相が変貌をとげる、と速水さんは観察する。

 曰く「作務衣系」、曰く「ラーメンポエム」。ラーメンにスタイルと人生訓とおぼしき「思想」が持ち込まれた瞬間である。

 これはなんだ?!なぜ、作務衣や黒いTシャツなんだ?!なんで、トイレに...人生訓。

 本書を読みながら、わたしの脳裏には、「ナショナル」の創業者松下幸之助が渦巻いていた。


松下幸之助といえば、大型冷蔵庫やテレビといったアメリカを象徴していた家電製品を、戦後日本の日常生活に、あたり前に普及させた元祖である。松下は、江戸社会において商人や下級武士、豪農といった人々が日常倫理として学んでいた「石門心学」をモデルとした人生訓を社是としていた。これはやがてPHP文庫のはじまりになり、政経塾はもとより、日本の企業戦士が座右の銘のようにして読んでいた。そこにわたしたちはなにがしかの「愛国」を嗅ぎとっていたわけだが、日本企業が無国籍化した現在において、イエや組織への忠誠といったかつての「倫理」がどれほど健在なのかは、寡聞にして知らない。


 



 速水さんは1章で、次のように書いていた。
 
 
日本におけるナポリタンやラーメンが、そういった食品文化帝国主義の先兵であるといった評価にさらされる機会はほとんどなかった。そもそも、それぞれイタリア、中国を連想させる食べものとして偽装されているので、誰もアメリカ化とそれが結びついているとは考えられないのである。だが、この二つの料理の普及が、アメリカの小麦輸出政策を背景に持ったものであり、「イタリア」「中国」といったナショナルイメージを偽装して日本の食文化を浸食してきたものと考えると、直接的にアメリカのイメージを帯びたハンバーガーやコカ・コーラやハリウッド映画以上に、よほど巧妙なアメリカ化をもたらしていると言えるのではないか。(p42)



 チキンラーメンが販売開始されたのは1958年だそうだ。「所得倍増計画」前夜、日本は依然として貧しかった。池田勇人の「貧乏人は麦を食え」が頭を過る。出自としては旧植民地とアメリカナイゼーションがもたらしたラーメン文化が、日本の国民食になっていった背景に、いったいなにがあるのか。

 月並みな感想になってしまうが、こうした現象は、「戦後」や「闇市」そしてアメリカの占領といった出来事の「忘却」(ホブズボウム)からはじまったのだろう。食糧難の時代が忘却され、ラーメンやパンが食料品のヴェリエーションとしてスーパーに並び、輸入食品と国産品の境目が淡くなっていった時間の中で、新しい「国民食」はできあがった。

 ラーメン店の多くが、アメリカ発のフランチャイズ・システムを採用しているようでありながら、内側でのラーメン技術の習得には「のれん分け」といった、かつての「親方子方制度」(ギルド)が生きていることも、速水さんは指摘している。そこに人生訓まで添えられれば、これまた「新しい伝統」と思しき作務衣がユニフォームになっても、もはや不思議はないのだろう。ラーメン文化のちょっと複雑な事情。たぶん、日本人にとってのラーメンとは、戦後日本の矛盾を抱えたままの象徴的な食べものなのだ。

 作務衣系とラーメンポエムに端を発した、速水健朗さんの直感は、戦後日本そのものが抱えたアンヴィヴァレンツを「ラーメン」の中に言い当てた。






 ところで、女性がやっているブランド・ラーメン店というのは、あるのだろうか...。寿司屋と同じなのだろうか...。



(完)





 



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